ブランドの作り方(中編)。

「服を作るのではなく、ブランドを作りたかった」

 

アントワープで。


「リアリティーが足りないデザイナーが多い」

アントワープに渡った時に、ある世界的なジャーナリストの方から聞いたこの言葉を未だに覚えています。

その時の自分にはピンと来ない言葉でしたが、不思議とその事が気になり続けて、一体どういう事なのだろうと考える日々でした。ちなみにその言葉は今でも礎となっています。

とりあえず当時の未熟極まりない中での自分が出した答えは、

「自分のバックグラウンドを知る」
「自分の生い立ちに戻る」
という事でした。

どうしても避けて通る事の出来ない本能的なバックグラウンドというものを、微笑ましいながらもどこか愕然とした気持ちで、他民族の中で感じ取っていた自分はコレクションを始めました。

それは決して難しい事ではないと思い、シンプルに片っ端から、幼少期から今の自分まで好きなもの、好きだった事をピックアップ。加えて自分は紛れも無い日本人というバックグラウンドがある事も加味しての収集です。

 

本能と時間を戻す作業。


これが楽しかった。

というのは、本能に立ち返る作業だったからなんでしょう。


一方で、成長していくはずの人間という生き物が、時間的には刻一刻と進むのとは逆に、魂の中では時間が戻っていくような感覚を覚えました。

要するに楽しかったと感じる事っていうことは、生理的・本能的に居心地が良いからということに他なりません。それが自分のアイデンティティーというものなのでしょう。


その作業のうちにホンの少しだけ苦しくなった事があり、

これまでにやっていた事・生み出していったものが如何に生半可だったのかという事も悟った事でした。

気合だけは半端なかったものの、うわべのイメージだけをなぞっているような、深みの無い作品の数々。その時に、面接から学校から、プレゼンの場、先述のジャーナリストの言葉が全て、腑に落ちました。

 

そして格闘する。


ァッションやデザインというものはとかく見た目の良さに溺れがちです。

人の目や心を豊かにするという意味や概念ではそれを自分は否定はしませんが、プロとしてやっていく以上、それでは歯が立たないし、何よりも自分の仕事人としてのプライドが許さないとまで考えるようになりました。そんなフィールドでやっているんじゃないと。

海の向こうの小さなフラットの一室で、一人そう格闘していました。

じゃあ、今までのものは全て壊して、忘れて、本格的に一から築き上げようか。
そして立ち返る作業を続けて、逆にそれを深めていこうか。


そう決めた自分は(本格的にブランドをやりたい夢はあったので)、ファッションによって何をやって生きたいか、何を伝えて生きたいかを考えながら、好きなものに没頭し、洋書・和書問わず書物を読み漁り、その上で初めてブランド名とロゴの作成に着手しました。

決して大げさに考えたのではなく、すべてはもっと単純な理由で、生き残り、焼き付くもの・愛着が持てるものをと考えての行動です。

 

単純の結果は。


時は2006年、TVでドイツでのサッカーのワールドカップを見ながら、ひたすらにスケッチをしていた事を思い出します。

どこか必死に考えていた所もあり、ヒントを探す事に終始していましたね。
自分のアイデンティティーという名のヒントを。
元々何が好きだったのかを感じ取る事で、何かが壊れて何かが生まれていく感覚が日々生まれました。

こうは述べているものの、誤解をして欲しくは無いのですが、実際はものすごく物事を逆に単純に考えるようになっていました。原理主義というか。シンプルに考え続ける事で目まぐるしく自分の感覚が育っていく感じです。


そうこうしている内に、シンプルにしすぎて行き着いた事が幾何形体の世界でした。

そして、生命の根源・宇宙観や家紋の世界。

次回、後編に続く。


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