その沢山の由来などを知る事は個人的にとても興味がありますし、勉強にもなっていました。
Quodua◆Elaqueという名前を付けるにあたり、自分自身が様々な方達から学び、気を付けた事をお話しようと思います。
ブランドを作ろうとしている方や、真剣にネーミングをしようと考えている方がいましたら、一つのQE流ネーミング術とでも捉えて参考にして下さいませ。
ブランド名もバカにならないっ!
たかが名前、されど名前。
ネーミングというのは自身がやってきて、感じた中ではとても大切です。
そして要。
ただのフィーリングや思い付きのレベルではなくて、ロゴと共に背負っていく看板。
更には何よりも自分自身が飽きてはいけないし、生命が終わるその時まで愛着を持てるものである事が必要となってくるのではないでしょうか?
個人的には、そう言い切れるバックグラウンドも欲しかった。
自分は真剣に考えてしまいました。
将来的な事を見据え、本気でやろうと思えば思うほど、これには綿密なリサーチが本来は必要となってきます。
難しく考える必要も無いですが、簡単に考える事は危険でもあると思います。
そしてこれから展開していく事は、割りとブランディングを仕事としている分野では、よくされている事でもあると学びました。
基本編として3つ。
「何か」にはならない。
いざ始める時に真剣に考えた大きな理由は、自分だけのものにしなければいけないとの理由からです。
これは、精神的にもビジネス的にも。
どういう事かというと(これは多くの企業も考えるらしいのですが)、独占欲から言う訳ではなくて、今の時代、検索した時に世界中でそれしか出てこない状態である事。 これが一つ目。
まず一番最初にそれを考えました。
単純にそれは精神的にもビジネス的にも、便利。
話題になった時も探してもらいやすい。
そうなると、やたら既存の横文字を並べたり使ったりするよりは、自分で作ってしまった方がイイと。
(どう造語にしたかは、また別の機会にふれるとして)
ましてどんなに頑張った所で、アイデンティティーと考えると、英語を母国語としてもいないのに使う事にも抵抗がありましたし、外国語に囲まれる生活をしてきた中で免疫はあるものの、使ってきたからこそ余計にブランド名として適当に使いたくないなという考えも有りました。
根底には、横文字を使う事がカッコの良い事じゃないと。
勿論使うこと自体は、否定はしません。
ただ、自分の中の基本原理としてそれはあります。
越えられない壁は無理に越えない。
アイデンティティーや本能を見極める事は無視出来ない事実。
うわべをなぞって使ってみたところでボロが出る。そう感じていました。自分は日本人だから。
また、もうすでに地球上に存在する言語なり熟語を使っても、そのイメージに囚われるのもゴメンだと思っていました。 何かの言葉にすると、その「何か」になってしまう。
「何か」にはならないというその心は、ブランディングの真髄かつ究極である”形容詞化”。
自分が・・・というと畏れ多いですが、それが代名詞や形容詞になる事は、ブランディングの最果ての姿だと思います。
法が絡む。
検索した時の話をしましたが、これにはもう一つ利点があります。
実際に幣ブランドの名前は検索すると、他のものは出てきません。世界中。
ロゴと共に製作していた当時も、確認の為に使用しましたが、その時は何もヒットするものが無い状態でした。
それはつまり、国境を越えた時にも問題が無いと。
(一例ですが、アンナ・モリナーリというイタリアのデザイナーがいますが、かれこれ日本には20年前くらいに入ってきました。元々彼女の展開していたブランド「ブルマリン」という名前は、日本国内では商標上の問題・・・恐らく、既に使っている所があったのでしょう・・・で使う事が出来なく、そのまま本名のアンナ・モリナーリを日本では使ったという出来事がありました。 こうなってしまうと、名前が増えてしまうだけでややこしくなる懸念も有りますね。ホント言うと。その辺は広く考えてスッキリしている方が良いかと思っています。)
考える事で自由度が増えていきました。
決してこれらは偉い事でもすごい事でもなく、自分が使って背負っていくものを慈しみたい気持ちの方が遥かに大きかったです。
話を戻しますが、
商標のことも調べ、弁理士の先生のお話も聞き、法的な事も足りない頭使って勉強しました(笑)。
場合によっては法が絡んでくる事も頭の片隅に置いておいた方が良いのかも知れません。
自分は最初そう考えました。
金銭的な問題になる事もあり得る。背負って大事にしていく名前だからこそ。
名前がカブる事に良い事は何もないと断言出来ます。
言葉の視点を広げる。
そして、次に行った事。
これは広告関連の業界の方から学んだ事でもありますが、その設定した言葉が、他の国の言葉の所謂「変な言葉」にならないようにする事。これが最後の三つ目。
最近では「近畿大学」の例があります。
ローマ字表記で”KINKI”。英語で”KINKY”という似たものがありまして、これはスラングでヘン〇イという意味になってしまうんです。
だから、気を遣ったのか遣わないのか、今では「KINDAI UNIVERSITY」となっているみたいです。
それもどうかと思いますが(笑)!
でも、考え方を変えると、デザインやブランディングで必要なのは、「人を不快にさせる事は極力避ける努力・尽力」も必要かと思います。難しい所ですけどもね。その線引きは。
大学の名前は旧来からあったものだから致し方ないにせよ、これからの事を考えると、持っておいた方が良いかも知れない視点だともいえます。
一方で何も外国語に遠慮する事もないし、母国語を誇りにすればイイのではとジレンマもあります。
逆を考えた場合、やっぱり日本人が笑う名前があったりしますもんね。 これからやるならば、やはりリスクになるので避けるべきかと思いますよ。
一応ですが、ざまざまな言語圏の方に聞ける範囲で聞きましたが、問題は無かったです。
良いか悪いかに言及する労力よりも、リスク回避をする事もブランド資産というものを守る秘訣だと自分は思っています。
ブランドは大事な資産。
このような感じで、これが設立するよりももっと前に自身が考えていたブランドの黎明期です。
まだ、ブランドにもなっていない(笑)。そんな時です。
この三つは後々とても役に立ちました。
そのおかげで(もっと調査を重ねたい気もありましたが)、愛着が有り、その気持ちはブレる事が無いと言い切れます。
それは決してすごい事とかいうのではなく、何より自身の中での育んでいくモチベーションとなりました。
普遍的な考察としてお伝え出来るかと思います。
ブランドにはそういったいわば忠誠心や愛情というものが大きな要素として構成されていく事も付け加えて、今回はここで手を止めようと思います。
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One thought on “ブランド名のネーミングの考慮。どう付けたか。”