ブランドの作り方(後編)。

「服を作るのではなく、ブランドを作りたかった」

 

ある職人さんの言葉。


そして更には禅から家紋へ。
紋の本を読み漁る一方、日本へ一時帰国した時に、もっと深めたい思いから、知人の伝手を辿って東京は下町の家紋の職人さんの所にお邪魔しました。夢中でした。

結果からいうと、この経験は自分にとっての一つの転換にもなり、

彼から教わった事は、
「物事の選び方、そして切り口は自由だよ」と。

確かに家紋の世界を知るうちにそれは感じました。
ここでは深く言及できないことを残念に思いながら、話を進めます。

 

スローガンはあふれている。


英国に戻った後、それまでのスケッチを洗いざらい見直し、新たな文献や彼の言葉を噛み砕いた上で再度ロゴの製作に取り掛かるのと並行して(仕事もしてましたが)、


そこにファッションをやっていく上での想いを込める事にも着手し始めました。
(ロゴマークの由来等はまた別の話にしようと思います。)

いわゆる旗印なので、細かい事は考えず、思う存分、込めてしまおうと。


自分がここで言いたいのは、そうまでして作り上げたものだとアピールする事なのではなく(そんなことは興味がありませんし無意味です。)、自他共に歴史を振り返る事で、初めて想いが形になっていくものだと感じた事です。

一般に我々が目にする企業やブランドのスローガンやロゴも何を表現したいのかをまず最初に考える事は大切ですし、それは自分と向き合って突き詰めていく事で、ロゴやブランド等のコンセプトになっていくと思われます。実感しました。


街には、実はそういうものが溢れています。

そんな視点で見るのも面白いかもしれません。

無意識のうちに五感に焼き付くものが数多くある事を。


この場を借りてなのですが、その当時の職人さんや、広告関係の知人には感謝しています。

 

血と使命。


て、ロゴというものは出来た。

今度はもっと現実的な問題で、果たして自分はどのようにこれに仕事として肉付けをしていくのか・・・
ファッション屋としての使命。


その部分は、結構いろいろな方に突っ込まれましたが(笑)、自分の中ではただ定めた順路に沿って歩んでいるだけでしたので気にはならなかったです。

同時に、その方たちが言っているのも尤もだと思いますし、勉強にはなったと思っています。


話は戻し、これは未だにブランディングとして格闘し続けている事なのですが、自分は服屋の息子としてこの世に生を受けて、その現場をリアルに見てきたよなとの土台。

見た目の華やかさだけに騙されるのではなく(その代わり人を美しくするという使命も持ちながら)、腰を据えて、地に足を付けた状態で、服ないしはファッションと言うものに相対していこうと痛切に思いました。

その心は、ファッション屋という事です。

その時につくづく自分の血が濃い事も悟ると共に、

それならば、そのDNAというか本能を最大の武器にして、祖国のこの生まれ育った場所を一つのスタートにして、ファッション界と対峙していく決心を固めました。

 

服屋。


また、己の才覚一つで何処まで出来るかという人生の挑戦でもありました。

(それ一つで幾らでも渡り歩こう。)

更には、
歴史も紐解き、服の事をもっともっと知り尽くして、原点に立ち返る事を考えてのメゾン。

往年のシャネルやディオール、そしてサンローランや、自身が敬愛してやまないヴィオネも、デザイナーでありながらも、誰よりも服の事を考え知り尽くして実践できる・・・

個人的な表現をするならば、


そういう人物や場所への憧憬を胸に、東京ブランドQuodua◆Elaqueというメゾンは、ゼロから産声を上げて始まりました。

おわり。


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