一連の記事の流れになりますが、黎明期の記述なのでご容赦下さい。
ブランドの作り方(後編)。
の記事で触れましたが、一時帰国の折、東京の下町にある家紋の紋付け職人さんの所にお邪魔しました。
加えて、もっともっとリアリティーのある作品を創りたいと願ったからです。
もっと知って学ばなければいけないと。
結果としてこの体験はかけがえの無いものになりました。
このようにリアリティーを求める行動に駆り立てたのは、アントワープで出会った世界的な某ジャーナリストの言葉で、自分自身の中でも、これ自体がどのようにして求めていくかの試金石でもありました。
リアリティーというものに対して皆さんはどうですか?
自分はたまたまこういった行為に出ましたが(正しいかどうかなんてわかりません)、血の濃いものを常に求めていく活動というふうに捉えていました。
どこかで悔しさもあったと思います。
本物に届かないもどかしさ。
そこで学んだ事は、活かされた。
やはりその道のプロに聞くというのはとても新鮮な事の連続で、沢山の発見がありました。月並みな言葉になってしまいますが。
ファッションというものに似ても似つかぬ世界であっても、その根本の考え方は今でも生きています。
クリエーションやデザインというものに置き換えても、これらは通じますし、日本が世界に誇る家紋の世界というものの奥深さをより知りました。
その具体的に学んだ事は、
- モチーフは気に入ったものならば何でも良い。
- その選んだモチーフの切り口は無限にある。
- 全て分廻しと定規で、尚且つ比率で作られる。
これらの事が大昔から継承されている。
時間と労力を惜しまずに、その道の人に会う事は本当にオススメしたいです。
また、日本にはこれほどまでに素晴らしいものがある。
先程の3つを一つ一つ解説したいと思います。
昔の方が粋で独創的。
モチーフは気に入ったものならば何でも良い。
現代人の独創性は負けていると感じました。
何故ならば、古代人は勿論の事、戦国時代の並み居る武将たちのアイデアの満載さは自由すぎて。
もっと言えば、その力をまざまざ見せ付けられて恥ずかしくもなったくらいです!
そうやってクリエイティブに政務も行い、戦にも臨んできたのでしょう。
デザイナーとして見るには、
その独創性に敬意すら持たざるを得ません。
例えばなのですが、有名な織田信長・・・織田家の家紋は「織田木瓜」として有名です。
(画像はフリー素材です。)
これは言うまでもなく瓜の断面で、要するにこの瓜の断面がカッコイイから使う事にしようと思ったわけです。こういった事は彼に限りません。
ファンキーだな(笑)。
何を良しとするかの自由さと純粋さ。この自由さは兜のモチーフ選びにも言えますね。
昔の兜も面白い。
現代人からすれば、こんなもの使うんかっ!と思う事でも堂々とやってのけます。
流行とかそういうものでもなく、情報に囚われる事も無く、自分の感覚が頼りだった時代でもあると思います。
イメージに囚われない。
その選んだモチーフの切り口は無限にある。
対談を続けていくうちに、その職人さんと、即興で家紋を作ってみようとしました。
テーマは「扇」。
その場に一つあったもんで、それをモチーフにしようかと。
すると彼はおもむろにペンを取り、一つの紋をササッと描き上げました。
(画像はイラストレーターで作ったものですが、実際は紙と鉛筆でのラフ画)
こんな形です。
これ何だかわかりますか?
答えを言ってしまうと、扇を畳んだ状態の時の上から見た絵(断面)です。
これを聞いた時に思わず「粋だなーっ!!!」と叫んだ自分(笑)。
そこをそう見るかと。
要はそういう事なんですね。扇だからと扇の形を額面通りに捉えるのではなくて、どの切り口でアプローチをするか。
そこに決まりは無いと痛感しました。
いろんな家紋を眺めると、その額面のイメージの無さに惚れ惚れさえします。
粋と浪漫。
線と円の物語へ。
全て分廻しと定規で、尚且つ比率で作られる。
ちなみに分廻しというのはこちらのようなコンパスの事です。
これに関してはあくまで原則というか由来というかでゼッタイではないのですが、コンパスと定規で基本は作る事になります。
そして今のようなパソコンやイラストレーターが無い時代、元の形を細かに比率で出して拡大縮小をしていたという事です。当時にしては画期的だったと言います。
元々が円の中に収める事が主流だったから、それが出来たとも思われます。結果論として数学的に。
しかしながら、現代人の上から目線で言うわけではないのですが、道具の無い時代だからこそ生まれ行き着いたこの技法がとても驚かれますし、そこに行き着かせた日本人の英知というものを感じ取らなければなりません。自分はそう思います。
※参考文献:「泡坂妻夫著: 家紋の話 上絵師が語る紋章の美」
またこの図面チックな絵が自分のインスピレーション源ともなりました。
この画像の解説はこの職人さんに出会った後に探し出したお気に入りの書籍からの引用です。今でも大事な本となっています。
余談ですが、家紋の完成形は文様の文化を経て、この分廻しと定規で描かれる範囲のものから始まったわけですが、戦国時代はこれらの道具で済ませられるような単純な構成で描かれる紋が好まれました。
武田の「武田菱」しかり、細川の「九曜紋」しかり・・・。
何故かと言うと、戦の最中に慌しくてもすぐに見てわかるものが必要だった訳です。
ですが、時代が平和になるとその必要も無くなり、より絵画的な家紋に変わっていったという歴史があります。
個人的にはそのような装飾的なものよりは、スローガンとしての訴求力の強いものに惹かれます。
シンプルでアイデアが満載・・・というのは先程も触れましたが、まさにそれがデザインをする身にとっては必要な事柄かと思いますし、このファッションブランド、Quodua◆Elaqueの目指すところでもあります。
逆に、如何にして簡単にするかという事。
これらの事を踏まえて、よりシンボルという考え方に傾倒し、モチーフをシンボリックに考える楽しさに気付く事となります。
シンボルというのは形式上の事だけでなく、思想やモチーフというもの全ての事柄をより簡単にまとめていく事とも思っています。それを突き詰めればこそ、訴求力が期待される。
この職人さんと出会った後に、もう一度全てを洗いざらい見直そうと意気込んでいた自分がいました。
数日後、一時帰国していた事もあり、書物を再び買い込み。
先程のお気に入りの書籍に出会ったわけなのですが、その本の中に、今もブランドのコンセプトになっている大きな壮大な物語と出会う事になります。
職人さんに教えてもらった事が、その物語によって強固に消化されていきました。
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One thought on “美しき家紋の世界にリアルに飛び込んだ話。”