「ブランドは出版社」の考えの下に。

声、ありますか?

Quodua◆Elaqueがこのようなメディアを始めた公の理由は、コンテンツをしっかりと作り上げて精神性を伝えたい事は勿論の事、出版社と似たような使命があると思う事が理由の一つです。

挨拶程度でしかなかった最初の記事を深めたものになります。
2017。

クリエーションやデザイン・アートといったものはそれぞれに哲学や美学、もしくは思想というものがあります。
それがあるから出来る。

その内容が重いものであれ軽いものであれ、右であれ左であれ、必ず何らかの形で存在します。
少なくとも自分はそう思っていますし、その重みを学んできました。

あ、ちなみに我々はリベラルです(笑)。

誤解をして欲しくはないのが、それは決して理屈で解決するとか、小難しく考えるという事とイコールではない事なんです。

そうする事でそれっぽくする事ではないです。



この道を志した学生時代から(その当時から服を着てもらうとか、売るという事はしてきましたが)、ファッションの世界の栄枯盛衰を見てきて、服を一つ売るにしても、衣食住のスローガンの下に生活の一部にするにしても、人は一体何故着る事を選んで、何を好きになって買うのだろうと常々考えてきました。

もはやDNAのレベルです。

その頃は今のように熟された考えは持っていませんでしたが、
根本の考えは一緒で、服に対する魂は好きになってもらいたいなという願いはありました。
そしてまた、服というものをどう捉えて作っているか。

情熱は尽きませんし、そうでなければ着て頂く方に申し訳ないと思っています。

加えて、自信が有るとか無いとかそんなつまらない事よりも、その情熱や精神で真に戦いたい気持ちの方が純粋に先立ち、祖国も飛び出して行きました。



自分は日本でもヨーロッパ(ロンドン・パリ・アントワープ)でもクリエーションというものにどっぷり浸かってコンセプトワークというものを知り、最近ではコンテンツマーケティングというものに非常に興味を持ち、文献を読み漁ったりしています。

この言葉はここ数年で特に使われ、聞かれるようになった概念ですが、

学べば学ぶほど、かつて自分が思い描いていた事だと脳内でリンクした事が嬉しく、ハマる事となりました。
まさしくその精神性や魂といったコンテンツを共有していくという作業です。



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うわべだけで判断されがちなファッションというものが、実はうわべだけの手っ取り早い判断でビジネスをしてしまうのは滅びるのも早い。
継承出来る精神性という資産がブランドというものに大切な事だとも悟りました。

それがないと、目減りしていくトレンドに対して、つねにその場しのぎで上乗せしていかないといけない事の繰り返しになるのも予想出来ます。
例えて言うならば、小さな穴が開いているバケツに水を注ぎ続けるようなものです。



何故、魂なのか?。


その当時から、なかなかに理解されにくく、時に揶揄される事もありました。

もちろんビジネスやマーケティングを考えた時に、それらの声もわかります。
一方で、クリエーションという、元々が揶揄されがちな活動の中で、その概念や精神を売っていく事の重要性をどうしても無視出来ない自分もいました。

生き延びる為です。
首の皮一枚でもいい。

日本を飛び出していった理由のもう一つは、コンセプトを重んじて論理的にデザインを繰り広げていく事を実際に体験して、格闘して、確かめたかったからです。
世界の往年のブランドやデザイナーのように、それは目減りしないと信じていたからです。




じゃ、その体験の数々はどうだったかというと、そういったものを鍛えれば鍛えるほど評価を得られる事実に何度も遭遇しました。逆を言えば、生半可は通用しない。

生半可な状態で周囲に合わせないといけない市場でありがちな日本での経験に対して、正直に言ってしまうと、これはとても新鮮でした。

批判されても、むしろその真剣さが嬉しくもありました。
生半可ではない批判が嬉しかったりしました。



 

ファッションという言論機関。


ファッションも生き物だから、歴史の中で進化論の如く、姿かたちを変えてきました。
美の概念ですら、です。

世紀を越えて学んでみると、その歴史の中にも魂や精神が数多くありました。
ヴィオネの言葉にしても、シャネルの言葉にしても・・・。

それは今、自分たちの前にも存在して受け継がれています。

その時に思ったのが、
「ファッションも言葉がある」
「ファッションは(時代の)言葉だ。ストーリーだ」


ファッションブランドという言論機関があっても面白いと思います。

そもそもブランドというものを学んでいく上で、「ブランドは声」という表現もある文献から学びました。
声にしたい想いがあるから創る。
真剣だから声がある。


その声は何だっていいんです。
それは技術的なこだわりかもしれないし、デザイン的な感性かもしれないし、サービスの理由かもしれないし、誰でもどんな事にも「声」がある。

自分の仕事に対しての声が形になっていくのではないでしょうか?
そこに価値をつけていく作業もブランディング。

 
 

声、ありますか?


幣ブランドQuodua◆Elaqueには声があります。
言葉にし続けたい、また言葉にしなければいけない声があります。眠っています。

そういうブランドです。

その仕事に対する声をデザインという論理で生活や心に届けようと思うんです。その労力は惜しんではいけないと戒めています。



その為の新聞であろうというコンセプトです。

新聞そのものの歴史を紐解いても、大正時代の文学史のように、そのような事情から始まったものも少なくはありません。
それに、新聞作ってるブランドもそうそう無いでしょう。

声があるなら伝える。その基本概念はとてもとてもシンプルです。


声、ありますか?

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