線と円の遭遇伝説。そして天地創造。

「この世のものは全てコンパスと定規で作られた。」 


アダムとイブだけじゃない。


むかーーしむかし、
太古の昔の中国に二人の番(つがい)がおりました。


男の名はフクギ。皇帝でした。
そして女の名はその妻、後に彼を継いで皇帝になるジョカ。

フクギは定規を、ジョカはコンパス(分廻し)を持ち、宇宙をはじめ、天地創造をしたという。



家紋の書を読むと、導入としてこういった伝説がありました。

あー、オドロキ!

皆さんが知っているアダムとイブ。これの東洋版、あるいは中国版といったところです。
彼らが各々に定規とコンパスを持ち、あらゆるものを作り上げたという話は、クリエイターに欠かせない道具で生み出していく事実とリンクしました。



・・・と、ここで、一つの仮説。



仮説というか極論ですが、
生命を司るDNAも、棲家となる家も、万物には設計図があり創造されていくというのはあながち間違いじゃない。そんな事を思いました。実際の設計図は勿論の事、生命の設計図である遺伝子も、仮の姿ではありますが、幾何形体を用いて表される事もよくあります。

もっとリアルに考えたら、自分が創っていく洋服にしたってパターンメイキングという設計図で成り立ちます。

家紋のみならず、あなたも私もコンパスと定規で作られている。
信じる信じないはさて置き。

 

デザイン発想は仮説立ての連続。


そんな感じでデザインをしていく上での仮説立てはとても大切だと気付きました。何よりも、そうしていく事で発想の幅が広がっていく。事実、仮説を立てる事で出会えなかった切り口に出会う事も頻繁に起こります。


それが正しいか正しくないかではなくて、どこを捉えて突き詰めていくか。
そもそも正誤に囚われていたら、何も生まれない。

仮説を立てて、概念を拾っていく。それがコンセプトワーク。自分はそう思っています。

一連の家紋やロゴ、これに関してはこのような仮説で感性を広げていったといっても過言ではありません。
その仮説を表現という形で証明していけば良いんですっ!


円という宇宙。

 

日月星辰、この世に光を与え、没しては現れ、満ちては欠ける。この神秘な円形をした天体は古代人の信仰の対象となっています。

紋では円は円相または天円を意味しています。これは中国の易の思想で、万物を乾坤で解釈し、乾は天で坤は地であります。円相は天の広大無辺と完全無欠を象徴します。円の中に太陽も月も星も存在するのです。

従って、紋の丸は理想の宇宙を小さな円に対応させた基本的な形として表します。

引用・参考文献: 泡坂妻夫 「家紋の話 上絵師が語る紋章の美」


お気に入りの本のお気に入りの一説です。
ポートフォリオにも使いました。

これは元々、自分自身が円の神秘に取り付かれた理由でもあるのですが、それはともかくとしても、家紋と円を使う事での宇宙観がより表現出来ると思いました。

線と円を遭遇させる事で万物を表現しよう。




そしてまた改めて、ブランドのロゴもモチーフ選びから、スケッチを重ねた後にコンパスと定規だけで描いてみよう。

これも天地創造だっ!
さあ、トライトライ。

モチーフ選びを繰り返す。
そこには後に語るスローガンが。

かつての武将たちと同じように、戦地に赴くにあたり、何に願いを込めたか。

これは立派な戦への旗印。

皆さんにもきっとシンプルで好きなモチーフや込めた願いというものがあると思います。



こうして創造、そして誕生。


ちょっと書き方の解説も入りますが、参考にした手法としては・・・、

先に大まかなイメージをスケッチで作った後に比率だけで作り出しました。線と円の遭遇。
(第一段階の初稿の画像。完全手書き。)




コンパスと定規だけで、尚且つ比率で。

紋の描き方の概念をそっくりそのまま。徹底的に。
しかも、この設計図のような線画が美しいと勝手に惚れ惚れ(笑)。

初稿なのでどこかこなれていない粗さがありますね。懐かしさも感じます。
過去のものを振り返る時にはいつも起こる感情です。

普段皆さんのお目に掛かる完成形はイラストレーターで起こしましたが、コンピューターを使うのはあくまで最終手段であって、実際に手を使って描き連ねる事が大事だと思います。
行き着くまでには何度も書き起こしましたし、その手の感覚から、また新たな事が生まれる可能性も秘めています。
やっている最中にひらめくアイデアもアリ。

 

またこうしている時に感じたのが、
紋の世界は制約があるからこそ独創的な構図やモチーフが自由に生まれたのかも知れないという事。
数多の紋を見ても感じます。

どう見ても無理があるにもかかわらず、半ば強引に収めた事で面白い家紋もある。
その微妙な感覚。江戸時代の感性はすごいな。


クリエーションにはある種の皮肉があって、制約があるからこそ自由のつもりで創らざるを得ない。
でもそこに考えるプロセスがある。

本当の自由は無いのかなと時に愕然としながら(笑)。


 

生まれた後は。



育てていく。


この時、円と想定したり、円の中に収めようとした時に、これまでの自分では想像していなかったようなアイデアが出て来る感覚を覚えています。

リアルな事と出会ったり、
突き詰める事によって出会う事の出来る、新しい領域です。

ロンドン時代に言われてきたり鍛えさせられてきた、突き詰める独創性。
 
 

いずれの工程も、
ただイメージをなぞっているだけでは思いつかなかったでしょうし、辿り着けるアイデアではなかったと思っています。



名前は「誕生」。

これがロゴや考えの原型となり、生まれてから色が付き、また、これ自体も自由にアレンジして育てていく事となりました。
幣ブランドの描く小宇宙の設計図とでも言いましょうか。

ここまでやって、初めて愛着が生まれ、フォントへのアイデアにもなっていきます。
 
 

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